はじめに、新型コロナウイルス感染症の大流行により、自らの危険を顧みず従事されている医療関係の方々、本当にありがとうございます。
初めまして、大東文化大学サッカー部
中林敦也です。よろしくお願いします!
フィールドの妖精横田くんからの指名で今回のブログを担当させていただくことになりました!
皆さんこのコロナの中、どのように過ごされているだろうか?
テレビをつければ今日の感染者の人数。
緊急事態宣言により外出の自粛。
コロナにコントロールされる毎日だ。
いつまでこの状態が続くのか見通しが立たない苦しい状態だ。
そこで、改めて考えてみて欲しい。
皆さんにとって、あたりまえの日常とはなんだろうか?
あたりまえの在り方、生き方、考え方とはなんだろうか?
私はこの休み期間でこの「あたりまえ」と言う言葉について考えることが多く、新しい気づきをもらえている。
私にとってのあたりまえ、それはサッカーができていたこと、仲間と一緒に過ごしていたこと、いつでも出かけることができたこと、学校で授業を受けること等、様々なあたりまえがある。
あたりまえと辞書で調べると
わかりきった、言うまでもないこと。当然。
とでてくる。
しかし、そんなものはあるのだろうか。
私は小学校一年生の頃からサッカーを始め、サッカーの楽しさや面白さを感じ上達していく中で、さらに高みを目指そうと小学校六年生の頃に柏レイソルジュニアユースのセレクションを受け、合格することができた。
柏レイソルでは、練習に行けば元プロだったコーチが教えてくれる、練習着や用具はチームが用意してくれる、練習後にはシャワーを浴び、ご飯が食べられる、プロのホームゲームは無料で観戦できる。
等、素晴らしい環境下で3年間サッカーをすることができた。
そして高校では市立船橋高校に入学し、数々の悔しい経験をしてきた。
思い描くビジョン通りにはいかなかったが、高校最後の年にインターハイで優勝することができた。
私は出場していないが、チーム全員で勝ち取った優勝だったと感じでいる。
大学では、一年生の頃からAチームに所属させてもらえる機会が多く、試合に出るチャンスも頂いてきた。
そして四年生となった今、チームの目標である「関東昇格」に向け、チーム一丸となって戦う準備をしていた。
私の人生にとってサッカーはあたりまえの存在だった。
しかし、サッカーをすることがあたりまえじゃなくなった今、改めて「あたりまえ」という言葉を考えた時、とても恵まれた環境でサッカーをすることが出来たことに気づくことができた。
ケガでリタイアするアスリートもいること、震災などの災害で日常が日常ではなくなること、恋愛にしてもいつどこで別れがあるかわからないことなど
物事に対して、時間に対して、人に対して、今まで以上に大切に思い、自己意識を向上することに繋がった。
大学に行けない、授業が受けられない、チームメイトとサッカーができないなど、当たり前が当たり前じゃなくなり、先が見えない不安を感じる反面、
この時間のギフトを、セルフィッシュでアイデンティテー、クリエイティブに過ごせるチャンスだと考え、チャンスを掴み、学び、またサッカーができるようになった時に全てを出し切るために、準備をして行きたい。
ps.
世の中が見えない危険にさらされて、急速に変化する不穏で不安定な今、私の愛する大切な皆さんが、心身ともに健やかに幸せに過ごされますように、心より願っております。
愛込めて花束を…✨🌹
最後まで読んでいただきありがとうございます!
引き続き大東文化男子サッカー部の応援宜しくお願いします。
次回は、ヘディングで相手と好きな人を叩き落とす、
野島樹哉です!お楽しみに!
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