日頃より大東文化大学体育会連合会サッカー部を支えてくださる皆様ありがとうございます。
今回引退ブログを担当させていただく4年の松本将吾です。
怪我が多く、4年間あるはずが2年間しかプレーしていないので、書くことが見つかりません。(笑)
私なりに4年間の大学サッカーの出来事や思い出について振り返りたいと思います。
まず初めに大学サッカーをしようと思ったきっかけは、高校時代に悔しい思いを経験したからだ。高校時代は全国から集まる強豪校でサッカーをしており、チームとしては全国高校サッカー選手権大会準優勝を果たした。しかし、個人としてはスタメンとして出場することができなかった。結局、試合に出場したのは県予選の準々決勝と準決勝のみ。全国大会でもベンチでアピールを続けたが、ピッチに立つことはなかった。大学では一年目から試合に出場して活躍したいと思った。又、関東リーグ昇格を達成させたいという気持ちが強かった。そんな中、練習がスタートした。高校サッカー引退後、自主的にトレーニングしていたこともあり、身体のコンディションは良かった。当たり負けしないように4キロ増量もした。やれることはやってきたつもりだった。しかし、一週間後に前十字靭帯断裂のケガを負った。怪我をした瞬間はなにが起こったのかわからなかった。病院に行ったところ1年間リハビリ生活が告げられ、サッカーができない日々が続いた。サッカーを辞めようかとも考えたが、みんなからの励ましのメッセージがあったことでなんとか乗り越えることができた。本当に感謝している。そんなこんなでリハビリが続き、なんとか大学2年の8月にチームに戻り試合に復帰することができるまで回復した。しかし、復帰しても膝の痛みと怪我の怖さがあり、思うようにプレーすることはできなかった。今まで通りのプレーができないし、膝をかばい、7割ほどに制限してしまう自分が情けないと思った。それでも、今できる全力でプレーはしようと思い、練習をひたむきに取り組んだ。その結果が実ったのか11月に行われた新チーム一発目の大会にスタメンとして出場させてもらった。復帰してから3か月でスタメンとして使ってくれた監督と一年間もサッカーから離れていた自分を応援してくれた仲間には感謝している。
月日が流れ4年目になっていた。関東リーグでプレーするという目標を掲げていたが自分がプレーすることは叶わなかった。それでもチームの目標である、関東リーグ昇格を達成させたいと思った。チームの調子も良く、前期負けなしの首位につけていた。しかし、後期になり、勝てない日々が続いた。そんな状況のときに二回目の前十字靭帯断裂の怪我を負った。選手として最後までやりきることができない悔しさがこみ上げ、数日は何も考えられなかった。サッカーが少し嫌いになった。怪我で始まった大学サッカーは怪我で終わってしまった。結局、チームは3位でフィニッシュし、関東リーグ昇格プレーオフまで進んだが昇格を成し遂げることはできなかった。個人としてもチームとしても目標を達成できずに終わってしまった。この反省点を今後の人生の糧にしたい。
大学4年間、選手としては思うような結果を出すことはできなかったが、4年間部活に入って本当に有意義な時間になりました。そして、最高の仲間に出会えました。後輩たちには後悔ないように全力でプレーしてほしいです。そして、自分たちの代が成し遂げられなかった関東リーグ昇格を達成してほしいです。私も次のステージで頑張ります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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48パパ (水曜日, 24 1月 2024 19:09)
お疲れ様でした。
大怪我に始まり、大怪我で終わりを迎えたんですね。宮市選手の様に、復活する姿は、後輩達にも熱いエールになったと思います。
次のステージも、活躍される事を祈念します。