今回、引退ブログを担当させていただく、背番号7番の根岸亮太です。一生このような文章を書くことがないかもしれないので、沢山書かせてもらいました。少し長い文章になると思いますが、最後まで目を通していただけると嬉しいです。
私は高校の部活引退で幼稚園から続けてきたサッカーを終わりにしようとしていた。
高校でのサッカーは辛いことも多かったが、基本的には楽しかった。でもその楽しさは同級生の仲間と居心地のいい環境で一緒にサッカーをする楽しさ。私が高校入学前に想像していたものとは違うものだった。
結局3年間で一度もトップチーム(Aチーム)として公式戦に出場することはなく、同級生や後輩がピッチで活躍している中、私はスタンドで応援をしていた。
客観的に見たら「負け組」
プレーヤーとしては「凡人」
当時の私は試合に出られないのも自分が評価されないのも指導者のせいなどにし、自分ではない他の所に理由を探していた。高校生の時の弱い自分は自分の実力や力不足と認めるのが怖かったから。
“これ以上続けるのは正直きつい”
“早くサッカーから解放されたい”
高3になり私はサッカーを考えずに進路を探していたが、両親はその考えを尊重した上で引き留めてくれた。”もう辞めさせてくれ”と思う時もあったが何度も話していく中で、ここで辞めたら負けたまま終わる、幼稚園から続けてきたサッカーの終わり方がこれでいいのかと思い、大学でもサッカーを続ける決断をした。
私は大学でもサッカーを続けるという決断が遅くなってしまったので、セレクションなどを受ける事ができなかった。4月の入学後にセレクションの予定だったがコロナ禍だった為、zoomでの面談で入部が決まった。その時の面談で監督に言われたのが「入部は可能だが、周りの部員は選手権やインハイなどで各々の高校で活躍した選手ばかり。4年間Aチームの試合には出られないかもしれない。それでも辞めずに続けられるか。」という内容だった。
想像はしていたが部員の多くは、それぞれの高校やチームでAチームに絡み、試合に出ている選手だった。
それまでは考えないようにしていたが、普通に周りと同じ事をやっていたら、また試合に出られずになんとなく4年間終わるのが容易に想像できた。高校の時の悔しさがあった分、大学では絶対に同じ思いはしたくなかった。高校生の時のように自分ではない他の要因を探して終わるのではなく、どんな指導者でも、自分とサッカーのスタイルが合わないとしても、何がなんでも試合に出る。サッカー人生の集大成を他の人や環境によって決まるのだけは嫌だった。
私の大学サッカーはここから始まった。
大学生は「時間がある」。
入部しても遊ぼうと思えば遊べるし、自分の好きな事に使える時間もある。年末年始には約1ヶ月間のオフがある。私はこの全体練習以外の時間で、他の選手と差を付けられると感じた。
春休みや夏休みで授業がない期間は、全体での昼練習の後に家に帰りトレーニングをしてきた。
私は冬の1ヶ月間の長期オフが毎年の楽しみだった。1年間で最も周りとの差が付く期間。高校生の時のオフは遊びの事ばかり考えていた。しかし大学生の自分はどれだけ追い込めるか、どれだけ成長できるかと考えていた。
「Nike Run Club」 長期オフの約1ヶ月間の記録
1年目 23ラン 174.5km
2年目 23ラン 220.9km
3年目 25ラン 316.2km
基本毎日走り、ランニングしない日はスプリントや坂ダッシュ、ボールトレーニングを多めに取り入れるようにしていた。3年目は1ヶ月間で20km以上のランニングを3回していた。
努力自慢にしか見えないが、これくらいを当たり前に継続していた。
高校で何も実績のない平凡なプレーヤーが試合に出て活躍する為には、これくらいは必要だと考えてやっていた。
結果としては2年目からAチームに入り、公式戦とリーグ戦に1試合(コロナのワクチン接種)を除き他全試合に出場した。3年目は長期オフ明けすぐに目の怪我をしてしまった。チームはリーグ戦が始まり、出遅れてしまった焦りからシーズン中にもかかわらず過剰なトレーニングをしてしまい、足の痛み、身体の重さと疲労が常にあり、パフォーマンスが上がらずに不甲斐ないシーズンとなってしまった。4年目は就活や膝の怪我もあり、シーズン前半は試合に出る事はできなかったが、焦らず少しずつパフォーマンスを戻す事に徹し、夏明け以降は全試合にスタメンとして出場する事ができた。
3年目は思うようにいかなかったが、2年目と4年目にこれだけ多くの試合に出る事ができたのは、間違いなく ”努力の蓄積” があったから。
私は努力をする事で2つの得るものがあると考える。1つ目は努力をする事によってのパフォーマンスや体力・筋力の向上。そして2つ目は経験値として蓄え、試合や勝負所で運や神様が味方してくれ、力を発揮できる。これが “努力の蓄積”。
これを例えるとサッカーは毎週1回試合があり、その週や試合によって調子の良し悪し、運などが顕著にでるスポーツ。
10kmを10回走って、100の努力の蓄積があるとする。
1試合毎に10の努力の蓄積を消費すると仮定すると、10試合目までは100の努力の蓄積で調子も良く運も味方してくれていたが、11試合目から調子が悪くなり運も味方してくれない。
これが私の考える努力の蓄積で、努力を継続する事の重要性。
サッカーで「誰よりも必死に頑張っている人や諦めなかった人にボールは転がってくる」というのを聞くと思う。
一般的にも「努力は必ず報われる」という言葉がある。努力をすればそれが力になり良い結果に結びつくという意味だけではなく、そういう人には最後のところで運や神様が味方してくれるのだと思う。
これを見てなにを言っているのかわからない人や違う考えを持つ人も多くいると思う。
しかしこれが4年間努力を継続し、Aチームとしてシーズンを戦ってきて初めて感じた事だった。
高3から付けているノートの1年次の7月1日(大学初練習)の前日のページを見返した。
その最後の一文に、「最後のサッカー人生の4年間になるかもしれない。悔いのないように、やり続ける」と書いてあった。
この4年間振り返ってみて、悔いはない。思うようにいかない時もあったが、それも全て仕方ないと思えるくらいに努力をしてきた。
4年間、遊びや楽しい事の全てを犠牲にして見られた景色は最高だった。
高校時代、Aチームとして公式戦に出た事がない私にとっては、試合前の緊張感、ピッチに入る瞬間、チームメイトの応援、点を決めた時、試合に勝った時、全てが他では味わえない素晴らしいものだった。
今後はまだわからないけど、とりあえず一区切り。
ありがとう サッカー
最後に、18年間1番近くでサポートし、応援してくれた両親。
なに不自由なくサッカーができた事、サッカーで様々な経験ができた事、ここまでサッカーを続けられた事、全て2人のおかげです。
そして、いつまでも自慢の兄。
小さい頃はよく2人でボールを蹴り、大人になっても練習相手をしてくれた。
ノートをつける意味や考える事の大切さ、凡人から這い上がる姿を見せてくれた。
3人とも本当にありがとう。
4年間一緒に過ごした同期のみんな。このメンバーで一緒にサッカーができて本当によかった。みんなのおかげで最高な4年間だった。ありがとう。後輩のみんなは大学サッカー悔いのないようにやり切ってください。応援しています。
長くなりましたが、これで終わりにします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメントをお書きください
48パパ (水曜日, 24 1月 2024 19:18)
お疲れ様でした。
相当走り込みされたんですね。その様な選手が凡人なわけありません。
努力出来るエリートなんだと思いますよ。
その驕らない姿勢は、社会に出ても必ず評価されると思います。