今回、引退ブログを担当する背番号23番の根本岳音です。拙い文章ですが読んでいただけたら幸いです。まず、なぜ大東文化大学に来てサッカーをやろうと思ったのかを話していきます。私は、高校3年生の最後の大会で県予選決勝で敗れてしまい、サッカーを高校で引退しようと決意していました。しかし、両親と相談する中で何度もサッカーを辞めると伝えていたが、結果的に両親が続けてほしいという思いに負けてしまい大学でサッカーを続ける決断をしました。その際に、寮がなく、大学で英語を学べて、そこそこ強い大学に行きたいと思い大東文化大学を選びました。サッカーに対しての情熱はすでに失っていたため、セレクションの際に選考動画を送った時にも自分は一つも手をつけずにお父さんに全て任せていました。今思えば自分自身甘すぎる人間だったと感じます。そして、サッカー部に入った時は思っていたよりもゆるい環境で、そこに安心感を感じている自分がいました。なぜかというと、自分のようにサッカーを中途半端にやっている選手が多いと思ったからです。でも、そんなことはなくて、みんなサッカーが好きで、大東文化大学でよりよい結果を出したいと思ってサッカーをやっているのだと、一緒にプレーするうちに感じることができました。そのようなチームメイトの姿を見て私自身、自然とサッカーに本気で向き合ってプレーをすることができたので、チームメイトには本当に感謝しています。1.2年生の頃は主にサタデーリーグという大会に出させていただいて、今思えばサイドバックとして自由にプレーしていたと思います。高校の時よりもサッカーが楽しくて、プレースタイルも攻撃的に変化して、得点やアシストを多く重ねることができ、時にはチームを勝たせるプレーをすることができました。そんな中でも、トップチームでプレーする機会はほとんどなく不満は多く持っていたと思います。だけど、しっかり自分に矢印を向けて結果と共に着実に成長を重ね、3年になるとトップチームでスタメンとして出場する機会も増えました。だけど、高校ではほとんど怪我をしていなかったが、急に怪我が増え、チームから離れる機会が増え、プレーできない時期が何度も訪れました。しかし、そんな中でもチームのサポートや体幹、筋力トレーニングを行い、チームに戻った際に戦力になるように努めました。そして、3年生の時の関東参入戦では、ベストパフォーマンスで挑むことができました。だけど、チームを勝たせることができなくて、チームの弱さと自分の甘さを改めて感じました。この経験がとても悔しくて、4年になり自主練をする量も自分なりに増やし、グラウンドになるべくいるようにしました。また、監督やチームメイトとサッカーの話をたくさんするようになりサッカーへの向き合い方を変えて、必ず今年関東にチームを昇格させると自分自身思うようになりました。練習中も後輩にプレーで引っ張っていけるように声をかけて、体を張るようにしていました。自分なりに全力で努力していたつもりです。だけど、4年の関東参入戦では1勝もすることができずチームを関東に昇格させることができなくてとても悔しいのと共にスタメンとして出ていた責任を感じています。でも、この経験は今後の大東文化大学がより成長するきっかけにもなると自分は思っているので、今後はOBとして後輩の活躍を陰ながら応援しています。最後に、後輩には悔いのないように日々のトレーニングを全力で行ってほしいと願っています。そうすれば、関東昇格をすることが可能だと思います。来年こそは関東に昇格してください、応援しています。
コメントをお書きください