引退ブログ 【出会い】
日頃より、大東文化大学サッカー部を応援していただいている皆様、誠にありがとうございます。
今回引退ブログを担当させてもらうスポーツ健康科学部、スポーツ科4年の見目晴彦です。
とうとう自分にも引退ブログを書く時がきてしまいました。約17年間生活の中心であったサッカーが消えてしまうことに実感が湧きません。
自分の引退ブログでは大学サッカーだけでなく、17年間のサッカー人生を振り返り、思いを書き留めました。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。
【出会い】
見目晴彦サッカー人生17年
関東入れ替え戦最終節の帝京戦の後の帰りの車で「あっという間だったなぁ」と思いながら帰っていた。
なぜここまでしてサッカーを続けているのかの理由を考えることがここ最近あった。
よくある回答としては、「サッカーが好きだから」とか。
サッカーが好きとはどういうことだろうか。
練習してうまくなることが好きなのか。試合で勝つことが楽しいと感じるのか。だとしたらサッカーという競技じゃなくてもいいよな。
なぜここまでしてサッカーをやり続けたのか考えた。
自分の中で答えがでた。
サッカーを続けていた理由は人との出会いにあるのだと思う。
幼稚園のサッカースクールで周りの友達がみんなやっていたからなんとなく始めたサッカー。熱量が上がったのは小学校3、4年から始めた朝練がきっかけだった。
朝5時半に起きて1個上の先輩の小堀(元立教大学サッカー部)と土手を走り行った後、勝手に小学校の門を乗り越えて登校時間ギリギリまで練習していた。
その時の小堀は憧れの存在だった。めちゃくちゃ意識は高いし、持久走シーズンは1位をとるために毎日走るし、みんながカードゲームで遊んでいる中、一人で真面目にボールを蹴っている姿に憧れていた。
「本気でサッカーをするのに女はいらない」と言って自主練をしている姿に漢としてかっこいいと思い、よく小堀についていって一緒に練習していた(小堀は女子にはモテてなかったため、その心配はいらなかった)。
中学は地元の中学のサッカー部に入部した。クラブチームに行くという選択肢もあったが、小堀がサッカー部にいたため、自分もサッカー部に入部した。
めちゃくちゃ弱かった。
地区大会は1回戦負けが妥当。2回戦に進められたら万々歳のチームだった。チームは弱かったが、小堀のサッカーに対する熱量に負けじと練習を真剣に取り組んでいた。学校のテスト期間中は部活動も停止期間に入るため、事前に勉強を進め、近くの公園に一人で行くか山川(元チームメイト)か小堀と一緒に自主練をしていた。山川は事前に勉強を進めているタイプじゃないため、テスト期間の自主練はきつかったらしい笑。
高校サッカーでは小堀が頭の良い高校に進学したため、小堀とは相手として戦いたい、また同郷の1個上の先輩の一真(元大東サッカー部)もいたため、地元の私立高校でサッカーにも力を入れていた細田学園に進学した。
一年の最初に運良くトップチームの練習に参加していた。
当時スタメンだった一真がインターハイ予選の調整の試合で怪我をして前日に急遽試合に出られるというチャンスがめぐってきた。
先輩の引退もかかっていた試合で緊張しまくっていた中、当時付き合っていた彼女にフラれてしまった。
試合当日は雨が降る予報だったため雨用のスパイクを買いに行かないといけなかった。部活後急いでスポーツショップに行った。そこで色々と考え事をした中で買ったため、間違えてラグビー用のスパイクを買ってしまうミスを犯し、そのまま試合にでた。チームは勝ったが、自分は相手選手のことを蹴とばしかけて人生最初で最後のイエローカードをもらう、ペナ外でハンドしかけるなど様々なやらかしをしてしまった。
そんな最悪のスタートを切った。
でも細田でやるサッカーはめちゃくちゃ楽しかった。
みんなうまくて面白いやつもたくさんいて、全国大会出場に向けて本気でサッカーをしていた。オフに何をしてたか記憶がない。
コロナの自粛期間でさえ、みんなと近くの公園に集まってサッカーをした。
公園でしんと加納がパントキックの練習をしていて、加納が蹴ったボールが逸れて、ダッシュでボールを追いかけに行ったしんが公園の溝に思いっきり足を突っ込んだ。足のすねがぱっくり割れて救急車を呼んだ。マジでグロすぎる怪我だった。自粛期間中に大怪我してることが監督にバレたらとんでもないことになるのを恐れてたしんが面白すぎた。
そんな面白すぎてサッカーも上手な同期においていかれたくない、もっとうまくなってみんなと試合に出て勝ちたいという気持ちがより強くなった。
結果として、小堀と対戦することはなかったが、高校三年の冬の選手権埼玉予選に出場することができて、埼玉県ベスト8で高校サッカーを終えた。
高校サッカーでは本気で同じ目標に向かって努力すること、一緒に戦うことの楽しさを知ることができた。
そんな高校サッカーまでのサッカー人生の中で、心残りがあった。
それは、一真に一度も勝てなかったこと。
一真とは幼稚園から一緒のチームで、今までのサッカー人生で一度も勝ったことがなかった。
一真がいる時は一真がスタメン、見目ベンチ。
高校時代は特に実力差は大きく、勝ち目などなかった。
負けっぱなしのサッカー人生で終わってはいけないと思い、運よく一真と同じ進路先の大東文化大学サッカー部から声をかけてもらったこともあり、もう一度一真にチャレンジすることにした。
大学1年。
食らいつくのに必死な1年だった。
同期のみんなは、市船、明秀日立、仙台育英、韮崎、鹿島学園、浦和南など全国的にも有名なチームばかりで正直ビビッてた。
トップチームに参加することはできていた。しかし、出場した試合は一真のサブとして出た、明治学院戦、東京経済戦の2試合のみ。しかもどっちも負けた。本当に情けない1年だった。サッカー以外でもたくさん怒られた。試合後の大戸屋でご飯を食べていたら騒いでたとクレームをいれられ反省文を書いた(多分征吾さんを中心とした一個上の先輩が騒いでいたから怒られた)。練習中、自分がヘディングしたボールが外のトラックを走っている女子長距離部の選手に当たりかけて怒られる、試合遠征でチームの荷物詰め忘れる、本当に色々なミスをした。
でも、楽しいこともたくさんあった。同期との試合はめちゃくちゃ楽しかった。試合後みんなで食べる飯もうまかった。ダソルさんの引退試合の中央学院戦ではサッカー人生で一番といっていいほど気持ちいいヘディングもできた。立正戦でもみつきのコンカは自分はベンチだったけど心の底から喜べた。アミノの明治戦のまさきさんのスーパーセーブも忘れられない。
大学2年。
試合にからめるようになった。
試合に出たしたのはリーグの後期から。
東京都2部リーグ優勝、東京都カップ優勝に関わることができた。自信のついた1年だった。サッカー以外にも筋トレを本格的に行うようになり、体のキレが増した感覚もあり、調子が良かった。なんで今まで筋トレと向き合ってこなかったのかと心の底から思った。天皇杯予選で戦った早稲田戦。本当に良い経験となった試合だった。1―1と惜しかったが、最後にやられてしまう。自分が全くPKを止めることができなくてもっと頑張らないといけないと思った試合だった。あと、疲れてるのは分かっているけど、りくにPK決めてくれぇ。ついでにがくとも。
大学3年。
関東の舞台では戦えないことが決まってしまった。
個人的にも悔しい1年となった。
リーグ前期はスタメンとして試合に出場できた。しかし、後期の成蹊戦。その年初めての敗戦だった。その試合をきっかけに、スタメンとして後期の試合には関わることができなくなった。アミノも初戦には出たものの、残りの試合はベンチだった。本当に悔しかった。後期になってチームも調子が上がらず負けの試合が続き、自分も試合に関わることができない状況が悔しすぎた。
関東入れ替え戦も5試合中、残りの帝京戦、尚美戦の2試合のみ出場で関東昇格もできず終わってしまった。
そして、一真が引退した。
一真と大学サッカーでともに過ごす中で、勝ち負けどうこうの前に、一人の人間として一真と比較した時に自分はまだまだ未熟だと感じた。自分は試合に出られない期間は正直不貞腐れていて、チームの勝利も素直に喜べていなかった。チームスポーツなのに、自分のことしか考えられなくて、チームのことを全く考えていなかった。それに比べて一真が出られない期間で悔しい中、そういった感情は一切出さず、ベンチで1番声を出して、チームを支えていた。
一真からはサッカーの技術やキーパーとしての振る舞いを見て、目標とするべき存在としてずっと背中を追いかけていた。
大学サッカーでは、サッカー選手の前に人として自分はまだまだ未熟であることを一真から学ばせてもらった。
本当にお世話になりました。
16年間付きまとってすみません。
ありがとう。
大学4年。
チームとして関東昇格を成し遂げようとした1年だった。
個人的にも関東昇格のところとしては、もちろん悔しさを胸に戦い、昇格しようと思っていた。
でもそれ以上に思うことがあった。
それは、今までのサッカー人生を支えてくれた家族のために結果を残したいという思いの方が強かった。今までのサッカー人生で明らかに違うことは、大学三年までは自分のためにサッカーをしていたが、大学4年は家族に結果と自分の頑張る姿を通して恩返しがしたいという思いでサッカーをしていた。
結果、関東昇格という目標は果たせなかった。
個人的にもコンデションを上げることが難しかった。体のどこかが常に痛かった。多分筋トレをミスってやっていた。
失点もめちゃくちゃした。リーグ戦は勝っていた試合もあったけど、失点が多かったからつらかった。
関東入れ替え戦でも大事な時に失点してしまう、勝たないといけない試合で大量失点してしまう。本当に責任を感じています。申し訳ございませんでした。
結果という点では恩返しすることができなかった。
でも、恩返しできたかもと思う出来事があった。
関東入れ替え戦初戦の城西国際戦、家族が見に来てくれた。結果としては0-1で負けてしまったが、帰りの車で「頑張っている姿を見れてよかった」と言われ、自分の中で今までサッカーを本気でやってよかったと思い、同時に少し恩返しできたのかと思えた。
最後の1年を振り返って、結果としては関東昇格ができなかったのは悔しい。
それでも、親に頑張っている姿を見せられたこと、恵まれた同期と本気で同じ目標に向かって努力できたことは良かったと思う。
サッカーを17年間も続けた理由。
多くの人と出会い、憧れたり、勝ちたいと思ったり、本気で同じ目標に向かって努力することの楽しさを知って17年間も夢中でサッカーをすることができました。
出会ってくれた人全員に感謝します。ありがとうございました。
ここからは同期のみんなへ。
最後のサッカー人生のチームメイトがみんなで良かった。
こうはキャプテンとしてみんなに強く言うことは本当にストレスだったと思うけど、チームのために動いてくれた。マジで最高のキャプテンでした。そんなこうでも居酒屋のトイレの床で小1時間寝ることがあるからそれだけは気をつけて。
みつきはチームミーティングの時に前に立ってサッカーの戦術のこともだけど、チームの問題点と解決するためにするべきことを納得できるように話すのはまじですごいと思った。あと立正戦のコンカも。あとドリブル中の切り返しも。あとお酒一口しか飲んでないのに「まじで飲んでる」って言うことも。
りくは普段は俺のこといじってへらへらしてるけど、ピッチに入ったらめちゃくちゃ戦って真剣にサッカーをしていた。セカンドボール拾ってくれてありがとう。北海道旅行の最終日で狂う程お酒飲んで病院に運ばれるくらい飲んじゃう癖はどうにかしてくれ。
がくとは空中戦が強すぎてすごく頼りになってた。あと朝練の時の車も助かった。ありがとう。酔っ払ったら俺の尻を蹴りまくるのだけはやめてくれ。
笠井は一緒に練習するのが楽しかった。大学2年の時には所属してたカテゴリが一緒だったから練習も同じだったけど、練習中に発狂してグランドに声が響き渡るなんて経験したのは初めてだった。もう一緒にロングキックを蹴れないのはさみしい。
かいとは顔と同じくサッカーもクールなプレーが印象的でかっこいいです。教職の実習でもJKに対してクールな対応をしていてすごいと思いました。かっこいいことを自覚して振舞っているところもかっこいいです。今度そらと温泉行こか。
ともきは試合に出たらなんだかんだ点を決めていて良いところ全部持っていくイメージ。教職もあって板橋校舎と東松山校舎往復してるのやばすぎ。あと冬のグランドで絶対に水かけられるのまじできつかった。
あいるはフィールドプレイヤーであんなに試合中に声を出しているのは疲れているはずなのにすごいと思った。あいるに負けないくらい声を出すことを意識して声出ししてました。引退ミニゲーム中に柔道技をかけてぶん投げられたことだけは忘れない。
りゅうせいはめちゃくちゃチームのために走ってくれるし、FWの中でも必要不可欠の存在でまじで助けられてました。同じ埼玉県の高校出身で中学サッカー部ってところも同じで一緒に頑張れて良かった。
はやとは学生コーチですごく難しい立場だったけど、Bチームを中心に指揮を執っているのは本当にすごいと思う。社会人でコーチやるのかは分からないけど頑張れ。
同期のみんなありがとう。
大人になってもみんなで集まりたいから、企画します。よろしくお願いします。
後輩キーパーへ
君たちとする練習が楽しかった。全員上手で個性もあって良い選手ばかり。立原さんというTiktoker兼名コーチがいて恵まれた環境で練習をできていることを忘れず、このまま本気で取り組んで、悔いのない大学サッカー生活を送ってください。
最後に両親へ。
ここまでサッカーをやらせてくれて本当にありがとうございました。
父は中学生の時の遠征の時に車を出してくれたり、幼稚園から大学サッカーまで、サッカー用品とか合宿代、それ以外にもたくさんお金がかかってると思うけど不自由なくサッカーを続けるためにお金を出してくれてありがとう。
そして母。汚れた練習着の洗濯とか早い時間にもかかわらず当たり前かのようにご飯を作ってくれてありがとう。特に高校時代は土のグラウンドだから練習着が土まみれで外で洗ってから洗濯機で洗ってくれてました。そして、家の前の道路が土まみれになって、それでも土が落ちきれてなくて洗濯機が壊れて買い替えるとか本当に迷惑をかけました。弁当も毎日作ってくれて、しかもその弁当がめちゃくちゃ美味い。しんとゆうじに美味いからって言って先に食べられるくらい美味い。
当時は恥ずかしくて直接感謝の気持ちを伝えられてなかったけど、心の底から感謝しています。ありがとう。
このような素晴らしい両親がいることを誇りに思います。
17年間支えられてきた分、これから立派な大人になって親孝行して、恩返しします。
最後までブログを読んでいただき、誠にありがとうございました。
今後共、大東文化大学サッカー部のご支援とご声援の程、よろしくお願いいたします。
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